1991年生まれのわたしの話 - e-jigsaw.blogspot.com
にいたく共感をおぼえたので1991年生まれのわたしの話を。コメント書こうかな、と思ったけどちょっとズレてるし。あと、ちょっと長くなったし。 大きな事件でなんとなくおぼえてるのはやっぱり阪神淡路大震災。祖父母があの辺に住んでたというのもあって、少しだけど記憶に残ってる。同時期のサリン事件はあんまりおぼえてない。 何歳の頃だったかは定かじゃないけど(小学校入る前ぐらい)、お古のワープロを譲りうけて今の(矯正した方がいい気がするけど)我流タイピングがだんだん手に染み付いた。細かくはおぼえてないんだけど、Mac(確かモニタと本体一体型のやつ)をもらうことになってワープロはバラして基盤ってこんななのかー、って遊んでた気がする。 このあたりでCを書いたりしてた。でも、コンソールに文字が出力されるってだけなのがつまらなくてすぐやめてしまった。 ジオシティーズでリアルの友達とかと自分たちのページを作ったりしてた。だんだんとHTMLだけでは物足りなくなってきて、CSSやFlashに手を出すようになった。onClickとかに要素指定しまくってたなぁ。 たぶん、このあたりに携帯を持ってクラスメイトの女の子とかと他愛も無い(誰それが誰それを好きらしいよ〜〜〜)みたいなメールをスゲーしてた。しばらく するとメールし放題みたいなプランが登場して寝る間も惜しんでメールしてたけど、それまではたくさんメールすると親に怒られてた。懐かしい。
学校終わったら誰かの家でだらだら遊んで、その後たくさんやってた習い事へ行って、その移動中とかも結構メールしまくってたような。
中学校に入って、友達の間ではハンゲームが結構流行してて、それにつられるようにハンゲームのコミュニティで遊んだりしてた。もうちょっと経つとハンゲームのSNSみたいなヤツが登場してきて、リアルの友達とかと日記書いたりしてた。学校終わって帰宅したら共通のチャット部屋でだらだらチャットしたり、女の子とツーショットでチャットしたりしてた。 そして、ませてる女の子たちはだんだんmixiを使うようになってた。自分はその頃いろいろ荒れていたので友達もどんどん減って、コミュニケーションツールとしてネットをあんまり使わなくなっていった。 その間もコンスタントにジオシティーズのページを作って遊んでたんだけど、それでもだんだん飽きたらなくなって、ついにPerlに手を出すのが高専入学してからかな。でも、Perlはすごく難解で(自分にとっては)結局、フリーの掲示板のスクリプトとかをレンタルサーバにアップロードしたりしてた。 それで、半ば強引に当時のJava同好会に加入させられて、同好会の掲示板に書き込みをしたりしてた。一時期、高専SNSなんてのもあったね。懐かしい。 そして、だんだん身内などからfollowされたりして活用するようになって、それが草の根のようにじんわり拡がってって今。
高専SNSがなくなってSNSというポジションがしばらくぽっかり空いて(強いていえばtwitterがそこにいた)いたけど、facebookがすごく楽しい感じになってきて、すごく楽しい。 他愛も無い話をしたり、喧嘩したり、ブロックされたり、いろいろあったけどやっぱりtwitterは楽しい。facebookはノイズとかが極力入らないようにすごく丁寧にデザインされてる感じがするけど、twitterの人間のコミュニケーションをそのままむき出しにしているデザインもすごくステキだと思うんだよね。
自分はだいたいこんな感じなんだけど、他の人はどうなんだろう。わたしもすごく興味が湧いてきた。
さっきtwitterでも少し話してたんだけど、来年度入学してくる高専生は1996年生まれ。それこそ、ベルリンの壁崩壊どころか阪神淡路大震災すら知らない世代が入ってくる。彼(女)らはどんな道を歩んできたんだろうな。知りたくもあり、ちょっと怖いな、とも思う。